依存症の原因と対策

最近思ったこと。


私は昔から依存しやすい。

楽しくなくなってもやり続けるゲーム依存。
検索が止まらないネット依存。
身近な人に昼も夜も執着する人間依存。
欲しくてたまらなくなる買い物依存。

いつも辛い思いをして、最後は依存が弱まったところをエンジンフル回転で離れる。
なんだかんだ離れることができてきただけマシではあるのだが、それまでに結構痛い思いをする。

依存をするのはなぜだろう。
と、ふと思ったので頭の中を垂れ流しに書いてみる。


依存症には3種類あるという。

  • 物質依存(酒、タバコ、薬物、...)
  • 関係依存(友人関係、親子関係、宗教、恋愛関係、...)
  • プロセス依存(ゲーム、ギャンブル、買い物、ネット、...)

物質依存は私は手を出したことそのものがない。
金銭的にも健康的にも実害が出るし、どう足掻いても他人から見て異常なのがわかってしまうからだろうか。

その意味では、他の二つはお金がかからないゲームを選んだり、甘えを受け入れてくれる人を見つけたりと、比較的逃げ道があるのだろう(そこを入り口として、お金がかかる方へと崩壊することもあるのだが。フリーゲームからの課金、結婚詐欺まがいなど)。

ただ、全てに言えることとして、時間の犠牲は最初から避けられないから、依存なんかできればしない方が良い。


原因

考えられる原因について整理してみよう。

  • 遺伝要因(性格)
たとえば、診断は受けていないが、私は昔から強迫性障害があるのではないかと思う。これは不安障害の一種らしい。
階段の手すりを触る回数は毎回指定され、その回数触れなかったらわざわざ戻って触る。
扉へは右足から入らなければいけない。
シャンプーのヘッドの向きは正確に真っ直ぐを向いていないといけない。置いた時に真っ直ぐでなかったら何度でも置き直す。
要は、自分でも訳がわからない変なこだわりが勝手に湧いてきて、思い通りにいかないことがたまらなく許せないのである。
買い物依存になった時にも、頭の中で「これを買わないといけない」という声がしていた気がしないでもない。

あとは思考を途中でやめてしまっていた。考える時間をお金で買うと思って、買ってしまえ、とか。
頭の回転が速ければこういうことはあまり起こらないのかもしれない。
  • 環境要因(ストレス)
依存に陥った時、もれなく私生活が充実していなかった。
充実していない部分を何かで手軽に埋めようとした結果依存したのかもしれない。
それは最初は良い気分転換になったかもしれないけれど、虚しくなってくる時がやってくる。
自分のやってることはハムスターが滑車を回すのと変わらないじゃないか、何も生み出してはいないじゃないかと。
でも、脳の中にもう「楽になる」=「それしかない」っていう回路ができてしまっているから、虚しさから逃れるために「それ」を求める。
完全に矛盾しているのにループし続ける。
虚しくなってもやめられなくなったら依存だ、とわかっていても、ループから抜け出すのは容易ではなかった。
ストレスがトリガーになっている可能性は十分にあるけれど、でもやっぱりそれだけじゃない気がする。一時期気分転換に散歩をしても、散歩依存にはならなかったことがその傍証だ。
ある程度手数が少なく手軽であることが依存の一定の条件である気がする。
  • 環境要因(時間)
依存は時間を食う。逆に、依存対象に手を出すときは時間のある時だった。
一度時間を注ぎ込むと、いわゆるサンクコスト効果が生じる。
自分が注いだ時間やお金が無駄だったとなるのが嫌で、つぎ込んだ対象に執着していく効果。これは趣味だ、気晴らしになっているんだとか言い訳しながら。
暇は苦痛だ。
くだらないことを考えたり、くよくよ悩んだりするのも決まって暇な時だ。
忙しくても暇な時もある。
やらなければいけないことはあっても、頭はとっくに飽きている時とか。
そういう時、何の気なしにちょっと手を出せるものが近くにあるともうまずい。
サンクコストの餌食。

対策

では、これについて対策は取れるのだろうか。

  • 遺伝要因(性格)
一番如何ともし難い部分だ。そもそも依存症は精神科での治療対象であることからも、もう脳のレベルの問題で、個人の意思ではどうしようもないのかもしれない。

こんなことを言ったら救いがないので、真面目に考えてみると、生活から依存しそうなものを警戒して徹底排除してしまうというのは一つの手かもしれない。
スマホを手放したり。
酒があまり売ってない地方に住んだり。
パチンコ屋がないところに住んだり。
人のいないところに住んだり。
... なんて中々現実的ではないけれど。
視力をなくせば、なんてことも現実的ではないけれど。

あとはもう精神科とか心療内科とかでもやるような、認知行動療法とか曝露反応妨害法とかを試していくしかないのだろうか。
性格や考え方を変えるって、相当大変なことだ。
重度の依存症では、財産も何もかも失う「底つき」を体験してようやく少し抜け出す率は上がるらしい。
逆にいうとそこまでいかないと抗えない怪物を潜在的に抱えて生きている人がいるということ。
となるとやはり怪物に餌を与えない、目覚めさせないのが得策か。
  • 環境要因(ストレス)
ストレスフリーな環境に移るか、ストレスを感じないようにするか、ストレスをうまく解消できるようにするか。多分前者2つは難しい。

ストレスを解消したくてもだるくて動けない、という時に手軽なものに手をだす(動画を見たり、ジャンクフードを食べたり、ネットショッピングしたり)パターンが多いと思うのだが、そういう場合にどうすれば良いか。

我慢するとストレスが増えるだろう。
しかし気力がなくて他に何かするにも面倒だ。
そういう時に、依存しにくいもしくは依存しても問題ない、かつ手軽で集中できるものを用意しておく必要がありそうだ。
これは人それぞれだが、例えばコインタワーを作るとか、落書きするとか、彫刻するとか、実際に体を動かすようなアナログなものが良さそう。
  • 環境要因(時間)
スケジュールを無理やり埋める。できれば集中せざるを得ないことで。
水泳みたいな命が関わることであれば本能的に集中することが多いはず。
人と話すことも、まあまあ集中力が必要だ。
どうしても集中できないのは、精神疾患が潜んでいる可能性もあるから、それはそれでプロに聞いた方が良いかも知れない。
あとは、脳が飽きると=暇になるから、できるだけ目新しくて多種多様な予定にするという工夫が考えられる。またはやることは同じでも、視点を変えられれば良し。
こう考えると、考える暇を与えないって意外と大変だ。

あとは、サンクコストに負けないよう、ぐっと堪えて損切りの練習。
耐える力を鍛えるには、耐える訓練をして習慣づけると良いと聞いたことがある。
一日坊主でも良い、それを何回も繰り返してみると何かが変わってくるかも知れない。

対策(すでに依存しかけの場合)

片足突っ込んじゃった場合の対策も考えておく。
(両足突っ込んじゃった場合は本気で病院行くしかないと思う。行っても相性合うかはわからないし治るかもわからないんだけど。実際依存症で脳みそ変質するらしい)

この場合も、やはり上の対策の応用で、

依存を自覚、理想の自分をイメージ

依存の対象物から物理的に離れる

他の対象に軽く依存を移すなどしてなんとか目をそらす

依存しきらないうちにさらに他の対象に軽く依存を移すなどして徐々に依存を薄める

最終的に依存する可能性のあるものを視界に入れない環境にしたまま、運動や読書など危険性の低いものに逃避するよう習慣づける

というのが経験上実現可能性が高いだろうか。

依存だと気づく頃には辛い思いをしてることが多いので、極論手軽で楽しいことには警戒して足を突っ込まないのが一番良いのは間違いない。


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